「ひろば」535号 発行
2026.03.25|広報誌
特集
東日本大震災から15年
福島の「これまで・これから」~復興のフェーズ転換と今後の展望~
東京大学大学院情報学環 准教授 開沼 博
(本文要約)
・2011年3月の東日本大震災・東京電力福島第一原子力発電所事故から15年が経った。マスメディアは被災地を「あの時のまま」「先行きが見えない」と、何年経っても変わらない紋切り型の描写でまとめようとする傾向もあるが、被災地域の現場は、そこに生きる人々の努力によって確実に変化を遂げている。今求められているのは、複雑な福島の「これまで・これから」を適切に捉える見取り図を提示することだ。
2011年度からの第1フェーズは、地震・津波被害に加え、放射線という不可視の脅威を前に、事実と虚構が未分化のまま衝突し続けた「混乱の5年」であった。2016年度からの第2フェーズは、インフラ整備と避難指示解除が本格化する一方、それまで国民的課題であった3・11が「被災地のみの課題」へと変化し、さまざまな「境界」が引き直された時代だ。2021年度からの第3フェーズは、処理水の海洋放出に象徴されるように、それまで不可視化されてきた科学的合理性をめぐる矛盾が顕在化し、社会的合意形成や政治的意思決定に進んでいった時代だ。
とりわけ避難指示を経験した12市町村を中心とした地域に残る課題は、人口減少、少子高齢化と医療福祉の危機、既存産業の衰退、エネルギー転換、ポスト真実といった、現代社会が直面するあらゆる「盲点」が先鋭化したものと見る必要がある。逆に言えば、福島の課題を「放射能」「避難」「廃炉」といったフィルターのみで見ていては、その根本を見誤る。
私が東日本大震災・原子力災害伝承館で主宰する「福島学カレッジ」に集う若者たちは、福島を現代社会の難問が凝縮された「探究のフィールド」「究極のケーススタディ」と捉えている。かつて大人たちが感情をむき出しにして対立したエネルギー問題に対しても、彼らは既存の政治的文脈に縛られずに「客観性と創造性の獲得」というポジティブな転換を果たしている。
私たちは、福島という地が「社会実装の実験場」として、いかにして困難を乗り越え、いかにして新しい社会のあり方を提示しているのかを、正しく抽出し、記録し、伝えていく作業を怠ってはならない。それが、15年目の福島を真に理解し、これからの展望を論じる上での、私たちの責務だ。
<全文PDFはこちら>
・3・11後の歩みは、概ね5年刻みの3つのフェーズ(局面)に分けて論じることができる。
2011年度からの第1フェーズは、地震・津波被害に加え、放射線という不可視の脅威を前に、事実と虚構が未分化のまま衝突し続けた「混乱の5年」であった。2016年度からの第2フェーズは、インフラ整備と避難指示解除が本格化する一方、それまで国民的課題であった3・11が「被災地のみの課題」へと変化し、さまざまな「境界」が引き直された時代だ。2021年度からの第3フェーズは、処理水の海洋放出に象徴されるように、それまで不可視化されてきた科学的合理性をめぐる矛盾が顕在化し、社会的合意形成や政治的意思決定に進んでいった時代だ。
・今あらためて直視すべきなのは、福島に残る課題が「特殊な被災地」の問題を超え、「日本中、世界中に共通する普遍的な課題」と通底しているという点だ。
とりわけ避難指示を経験した12市町村を中心とした地域に残る課題は、人口減少、少子高齢化と医療福祉の危機、既存産業の衰退、エネルギー転換、ポスト真実といった、現代社会が直面するあらゆる「盲点」が先鋭化したものと見る必要がある。逆に言えば、福島の課題を「放射能」「避難」「廃炉」といったフィルターのみで見ていては、その根本を見誤る。
・3・11から10年経ったころ、政策上のターニングポイントがあった。まず移住促進が公に言われるようになった。もう一つは、避難指示の解除に関してであった。避難指示解除を先んじて進めてきた自治体では産業と生活の再生が進み、復興関係の工事や制度の後押しで「復興バブル」的な意味での景気の良さが明らかに見えてきていた。地元住民から「なぜうちはいつまでもあのようなフェーズにいけないのか」という声が上がるのは当然だった。避難指示解除の方針を示すことが相対的に遅れたことが、地域の復興にとって大きな足かせになったことは大きな教訓だ。避難指示解除の方針は政治的プレッシャーがあろうとも可能な限り早急に示さなければ、後々大きな損害を住民と基礎自治体にもたらすことは教訓として伝えなければならない。
・ここからの5年間は、福島を支援の対象とする「for福島」から、福島での経験を普遍的な知へと昇華させ、福島から生み出されたものを提示していく「from福島」へと転換できるかが試される。依然として根深い情報社会特有の「風評加害の構造」とどう向き合い、いかにして事実をベースにした社会を再構築していくか。その手法こそが、福島が世界に提示すべき知的資産の核心となる。
・震災から15年という歳月は、必然的に「災害記憶消滅世代」を地域社会の表舞台へと送り出した。現在の中高生たちは、3・11当時に3歳以下、あるいはまだ生まれていなかった若者たちだ。彼らにとって3・11や福島原発事故は、「経験」ではなく、「歴史上の出来事」にほかならない。
私が東日本大震災・原子力災害伝承館で主宰する「福島学カレッジ」に集う若者たちは、福島を現代社会の難問が凝縮された「探究のフィールド」「究極のケーススタディ」と捉えている。かつて大人たちが感情をむき出しにして対立したエネルギー問題に対しても、彼らは既存の政治的文脈に縛られずに「客観性と創造性の獲得」というポジティブな転換を果たしている。
・福島の現場で今起きているのは、単なる「失われた過去の修復」ではない。記憶を持たない若者たちが「問う力」を武器に新しい価値を紡ぎ出し、地域の産業が過酷な環境変化を糧に自らを進化させていくプロセスだ。この「構造的な強靭さ(レジリエンス)」こそが、15年という歳月をかけて福島が土壌の中に育んできた真の資産だ。
私たちは、福島という地が「社会実装の実験場」として、いかにして困難を乗り越え、いかにして新しい社会のあり方を提示しているのかを、正しく抽出し、記録し、伝えていく作業を怠ってはならない。それが、15年目の福島を真に理解し、これからの展望を論じる上での、私たちの責務だ。
せとふみのereport プラス
エネルギーミックスを支える現場からー技術者たちの思いー 日本海エル・エヌ・ジー株式会社
(本文要約)
・日本海エル・エヌ・ジー株式会社は1978年8月に設立され、1984年1月に日本海LNG新潟受入基地(以下、新潟基地)において営業運転を開始してから42年間一度も休むことなく、新潟・東北エリアのエネルギー供給を支え続けてきた。
<全文PDFはこちら>
・日本海側で初のLNG基地として誕生した背景には、エネルギー源の多様化と環境保全という2つの大きな使命があった。隣接する東北電力東新潟火力発電所にLNGを気化して供給し、新潟・東北エリアの電力供給の根幹を支えるのが最も重要な役割だ。そのために安全を最優先とした安定供給体制の維持・向上に向けて、中央制御室を基盤とした万全な24時間体制で、LNGの受入から貯蔵・気化・出荷までの管理業務を展開している。
・2025年度、新潟基地では大きなプロジェクトが進行した。アルミでつくられた4号LNGタンク本体とステンレス鋼からなる配管の接続部について、通常のボルト締め付け方式から特殊な圧着方式への技術転換を伴う改良工事を行った。この工事において、稼働中の設備から工事箇所を切り離す「前作業」、そして工事後に再び設備に接続させるための「後作業」からなる前後作業を担当したのが、オペレーション統括部作業管理グループの加藤一晃さんだ。
・「これらの作業は危険と隣り合わせであり、わずかな手順の違いが重大なリスクにつながるため、事前の準備と確認を徹底し、安全意識を共有しながら、社内外の枠を超え総力を上げて取り組んだ」と加藤さんは話す。
・発電所が「電気をつくる現場」なら、LNG基地は、電気をつくるその前を支える「燃料を届ける現場」。私たちが当たり前に使う電気を、見えないところで支える仕事の重みを、強く実感した。
教えて!坪倉先生 気になる“ ほうしゃせん”
放射線教育 ーその2 ー 地域によって異なる学びの積み重ねが重要
福島県立医科大学 医学部放射線健康管理学講座 主任教授 坪倉 正治氏
以上

